「それはナシで。それ以外の方法を知りたい」・・・て思うことありませんか?
試してみてもダメだったし、疲れるし・・・。
でも、何となーくモヤがかかっている状況が、ずーーーーっと続いているんだよなー。
・・・て気づけば何年も前からモヤってる(悲)。
・・・てこと。
私にも経験あります!
身近なところで言うと、バイリンガル子育てをしている時、そして英会話上達を心から望んだ時。
私は「それ以外」を求めてさまよいマシタ。
「それ以外のこと」ならば、オットにも母にも、娘にも、誰にも迷惑をかけずに済むと思ったからです、あと、疲れないし。
逆に言うと、私が「それ」を選択してしまうと、オットに呆れられ、母には「もっと他のやるべきことがあるだろう」と言われ、心身ともに疲れるだろう、と。。。
なので私は「それ以外」で「負担なく」やるを選択しました。
でも数年経ってみると・・・状況は何にもかわっていなかった。
どころか、モヤがますますモヤモヤモヤ~になっていた。
娘も何だか私の感情に超敏感だし、他の子より、私と離れることに恐怖を感じ過ぎじゃないか・・・ってくらい、恐がりだし。
そこでふと気づいたのです、私が選択するべきだったのは「それ以外」じゃなく、「避けてきたそれ」だったのかも、と。
そして壁は、オットや母やお金ではなかった、と。
壁となっていたのは、自分自身の劣等感。
- 「それ」を選ぶと大切な人に迷惑をかける⇒
- 大切な人に、コイツはやっぱりどうしようもねぇクソヤローだって思われる⇒
- やっぱり私っていろんな人に迷惑をかけるだけの人間なのね(シクシク)⇒
- ツライ、悲しい、生き苦しい
・・・となるのが恐かった、てワケです。
だけど気づいてしまった。「避けてきたそれ」を選ぶしかない。そして実際に選択し、実際に迷惑をかけました。
で案の定、コイツやっぱどうしようもねぇなって思われた。
だけど、私が自分自身を蔑むことをしなかったら、案外すんなり受け入れてくれましたし、何なら元から「どうしようもねぇヤツ」ってことは、私が思っている以上にしっかり認識していたようです(悲報)。
お陰で私は「オットに心から感謝をする」という、十数年間全く出来ていなかったことまで出来るようになり(偉業)w
その後は「避けてきたアレ」をいくつもやり(しかも事後報告もしくは未報告www)、その結果、やりたいことをやるっていう幸せな人生を歩めるようになりました。
ありがたい、ありがたい。
そんな副産物として、娘が英語を話せるようになったのだと思います。
蔑まれることを恐れ、周りに迷惑をかけないように・・・と思いながら生きている以前の私だったら、型どおりのおうち英語をやり続け、娘はバイリンガルになるまでに至らなかったのでは、と本気で思っています。
そして「周りに迷惑をかけないように」生きている私を間近で見ている娘も、もしかしたら必要以上に他人の顔色を伺い、自分の意見が言えない子に育っていたかもしれないな・・・とも。
バイリンガルに育たない理由、それはおうち英語時間を作ってあげられないとか、ママの英語力が低いから・・・ということではない場合もあります。
英語とは関係のない、意外なこと。
ママの自尊心の低さだったりが邪魔してるとか、ママだけのフィルターを通してお子さんを見て物事を判断しているから、などの理由もあると、私は思う。
それらが邪魔して、芽が出ないのだとも思う。
そりゃあバイリンガル子育ては、すぐに結果は出ません。
それにしても、出なさすぎじゃね?(涙)・・・て思う場合、ママ自身の心を、もう一度見直してみてはいかがでしょう(^^)
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